伝説の悪役レスラー「キラー・カーン」に会った夜

キラー・カーン

噂を頼りに新宿西口へ:伝説のレスラーの居酒屋

今から約20年くらい前、まだ私が若かりし頃のこと。プロレスファン界隈でまことしやかに囁かれていた噂を確かめるべく、新宿の西口へと足を運びました。その噂とは、「あの」伝説の悪役レスラー、キラー・カーン氏が、新宿の片隅で小さな居酒屋を営んでいるというもの。プロレス好きの知人と二人、「本当かよ?」という半信半疑の気持ちと、かつてのスターに会えるかもしれないという期待を胸に、店に到着しました。

私たちが訪れたのは、開店して間もない時間帯。店内には店員さんがいるだけで、主役のカーン氏の姿は見えません。店員さんに確認すると、「今日は店に出る予定ですよ」とのこと。とりあえず、再会を誓い合った戦友のようにビールで乾杯し、世間話に花を咲かせながら、その時を待ちました。

荒々しいギミックを脱いだ、優しい素顔

そして、しばらくして入口のドアが開きました。「いらっしゃい!」そこに入ってきたのは、なんとも穏やかで、にこやかな表情を浮かべた初老のおじさん。それが、他ならぬキラー・カーン氏でした。

キラー・カーンという名前を聞いて、誰もが思い浮かべるのが、荒々しいモンゴリアン・チョップと、巨漢レスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントの足をコーナーポストからのジャンプ攻撃で骨折させたという、プロレス史に残る「事件」でしょう。当時は、カーン氏の恐ろしさと残虐性を象徴する出来事として語り継がれていましたが、目の前に現れた本物のカーン氏は、非常に気さくで、始終ニコニコとしている「隣のおじさん」のような雰囲気でした。

当時一緒に戦った海外レスラーではスタン・ハンセンとかも日本に来た時にはこの店に顔出すよとニコニコして話してくれました。

アンドレ骨折事件の真相に見た「漢」の優しさ

後に知ったことですが、アンドレ骨折事件の真相は、私たちが想像していた「悪役」の姿とはかけ離れた、実に心温まるものでした。巨大なアンドレ選手は、試合中にアクシデントで足首を骨折してしまっていたのです。それに気づいたカーン氏は、試合を成立させるため、そしてアンドレの痛々しい姿を観客に見せないようにという機転から、あたかも自分がコーナーからのニードロップで負傷させたかのように振る舞い、試合を「演出」したというのです。

なんて優しい「漢(おとこ)」なのでしょうか。プロレスラー同士の暗黙の了解として、この事実は秘密にされ、リング上ではお互いに因縁の敵を演じ続けましたが、アンドレはその時のカーン氏のプロフェッショナルな対応と思いやりに深く感謝していたと言われています。日本人であるカーン氏がモンゴル風のリングネームを名乗っていたのも、アメリカマットで成功するための「悪役」というギミック(キャラクター設定)だったのです。

家宝を逃した!幻のカセットテープ

居酒屋の店主として私たちをもてなしてくれるカーン氏。話によると、カーン氏は歌が上手で、かつてレコード会社からCDならぬ「カセットテープ」を発売したことがあるとのこと。本人が、「どうだ!」と言わんばかりに、そのカセットテープの現物を見せに来てくれました。

「いや〜、今さらカセットテープじゃなあ…」と、その場では購入を見送ってしまいましたが、今思えば、伝説のレスラーが直接手渡してくれたサイン入りのカセットテープなど、家宝にすべきだったと後悔しきりです。料理やお酒を運んでくれる彼の姿は、プロレスラーという華やかな世界から一転、堅実に居酒屋を切り盛りする一人の職人でした。

永遠の遠征へ:最後に交わした分厚い握手

およそ2時間ほど、美味しい料理と酒を堪能し、会計を済ませて店を出る際、私は意を決してカーン氏と握手を求めました。

ごつい。分厚い。

やはり、長年リングで激闘を繰り広げてきた、レスラーの手でした。私の手を、その大きな掌で包み込むようにしてくれたカーン氏の笑顔は、今でも鮮明に覚えています。

荒々しい悪役の仮面を被りながら、その実、仲間への思いやりとプロ意識に満ち溢れたキラー・カーン氏。そんな偉大なレスラーは、2023年、76歳で永遠の遠征へと旅立ってしまいました。彼の残した数々の伝説と、新宿で垣間見た優しい笑顔は、これからもプロレスファンの心に生き続けるでしょう。(以下のリンクにはアフィリエイトリンクが含まれます)